3.11による大打撃
百貨店の催事企画会社でWEBの成果が出ているのに、なぜフリーランスの道へ進んだのか。東北の震災から話は始まります。
3.11。自分は横須賀の某百貨店でイタリアフェアを開催していました。大きな揺れの中、1本数万円の高級イタリア傘を売っちゃう人、揺れの直後に「非常食にパンはいかがですか?」と売り始めるパン屋さん。「慌てても仕方ないですから」と講習会を続けるイタリア料理のシェフ。そんな経験をしていました。
震災後の「節電」と「自粛」を覚えていらっしゃいますか?電気が不足するからと大規模な節電が各地で行われていました。百貨店の催事も例外ではありません。商品へ当てるスポットライト、商品が並ぶケース(宝飾店で見るガラスケース)のライト、そのほとんどが使えませんでした。
また「こんな時に催事とは何事だ!」とクレームが来る事から「催事」という祭り事も派手にできない(百貨店はチラシもDMも配れない)。当然、客足は遠のきます。
百貨店も企画会社も催事出店会社もみんな赤字。そんな窮地の時に、80%以上の仕事を取ってきていた営業部長の独立(競合会社の設立)。僕がいた企画会社は死刑宣告を受けたも同然でした。
ホームページは役に立たないというセリフへの疑問
自分の今後の立ち居振る舞いを考えるようになった時に、催事に出店している会社の方から「ホームページを作ったけど何も起こらない。ホームページは役に立たないよ」という話を耳にしました。
一定の成果を上げていた自分としては「そんなことはない。なぜそんなことになるのだろう?」という疑問を持ち、役に立たないと言う出店会社さん達に話を聞いたら「WEB制作会社が制作だけしかしていない」ということがわかりました。
今、振り返ると「若かった」僕はWEB業界への疑問を持ちます。そんな自分で自分の首を絞めるようなことをしていたら、WEB業界に傷がつくじゃないか!と。
そして、僕はWEB業界へ殴り込むつもりでWEB屋になることを決めて、会社を退職して1年間のWEBクリエイターとしての修行期へと突入していきます。
WEBクリエイターとしての修行期は、次回! |