こんにちは、
さのますみです。
(このメールは佐野珠美の個人セッションのクライアントさまでEメールニュースレター配信にご了解いただきました方へお送りしています。)
ワークショップを、そろそろ再開したいと思っています。
昨日の続きを送信させていただきます。
その前に、、
今年3月に、『すこし長期的な探求グループ』を終えることができました。
同じメンバーで、約7ヶ月の間、「人との関わり」をテーマに探求を深めようと行いました。
毎回テーマを設定し、ゲシュタルトのツールを使ったエクササイズをいくつかやりますが、この間を貫く一つのテーマは、「人との関わり」。
で、ゲシュタルトらしく、それはいつも、「自分との関わり」から始まります。
つまり、「誰かと居ながら、自分自身と関われるか?」の
探求でもあります。
そして、”コミュニティ”で行う探求の場は、贅沢なことに、
その場で、試したり、聞いてみたり、シェアによって別観点がもたらされたり、更に何かが起こってきたり、気づきのプロセスがごろごろと転がっていく場でもあると言えます。
それから、
「ずっと一人で自問自答してきた」「一人で探求してきた」 という人にとっては、
このスタイル自体が、一つの大きな実験になり得ると思います。
「人生を一人でやらない」なんて
ゲシュタルトの気づきのアプローチの文脈にはあるのですが(注:世間には色々なゲシュタルトがあります)、それは、どういうことか?
にも、同時に手をかけていると言えるかもしれません。(もちろん、これらのテーマを全てこの期間にやり尽くすのは欲張り過ぎでもったいないです。お腹空いた〜食べる〜落ち着く〜消化〜血や肉になる のサイクルと似ています。食べ過ぎた分は血や肉になりにくいです。)
また、グループの変容 というのも目撃し体感する機会になるかもしれません。
「ミニミニ世間」でもありますね。
自分とは違う存在、が、目の前に確かに居ます。
「コミュニティ」と「自分自身」
もしかすると、人生で何を為すか(為したか)もさることながら、実際私たちが生きるを通じて日々プラクティスしているのは、こっちかなと、私 珠美は、個人的には思っています。
日常の生活の場は、本番待った無し。
であるならば、
この場では、出来るだけ安全な構造を作って、ゲシュタルトの気づきのある環境を作り維持して、一つ一つのテーマに分けて、体験的な実験の場であれるよう努力したつもりです。
「気づきの筋肉」を育みます。
それは、「誰かと居る」体力になります。
また、それは、「自分と居る」体力でもあります。
ご感想を拝読させていただくと、いや、この探求グループの期間中ずっとですが、
皆さんの気づきの力、自分自身への信頼に基づく選択、そして、知性の使い方に私自身が何度も何度も「おぉ!」となりました。また、何度も何度も胸が熱くなりました。
人の中にある力を改めて再確認する期間になりました。
私たちはそれぞれ違っています。そして、私たちはどんなに違っていても、共通する場所はあります。私たちの中にある生命力からの力の強さと健全さがあるという点です。
ご参加くださり、探求を共にした皆さんには、心から感謝の気持ちです。
このようなスタイルの探求グループを、ご興味のある方がおられれば、また今年も行なっていきたいと願っています。この長期グループに関してのご案内は、また機会を改めてと思っております。ご質問などありましたら大歓迎!です。
そして、
今日は、単発のワークショップのご案内をしたいなと思います。
皆さんこんなことにご興味あるでしょうか?
ゲシュタルトを作った フリッツ・パールズが、
よく投げかけていた言葉 だそうですが、
「あなたは、自分で自分をどのように欲求不満にさせていますか?」
こんなところから、
探求を始めて、
自分の中にある可能性の発見につながるかと。
ゲシュタルトらしいアプローチだと思います。笑
あなたは、
どんなふうに自分自身を中断するのか
本当に必要とすることや、欲していることから
どんなふうに自分を遠ざけるのか
自分自身を待たせるのか
もし、待たせているとしたら、何を待っているのか
もし、そんなやり方を自分が持っている
いつも私は自分にこんなふうにしている
ってのが出てきたら、
もう一つの問いかけができます。
他の可能性はあるか
いつもそうですが、
問いかけに対する答え よりも
ここで重要なのは、
身体に、どんな波紋が いま あるか?
なにを、いま 体験しているか?
ってことになります。
気づきを保ちながら、
一つ一つのステップに
たっぷりと時間と場所をとってみます。
「事情」の説明は必要ありません。
恥をかく必要もありません。
すべてをつまびらかにする必要もないです。
また、自分を強制しているのに気づいたら、
それにもただ気づきます。
ゆっくり、やさしく
構造を作って 見ていきます。
出てくるものすべてに、居場所があります。
評価も、分析も、アドバイスも、不要です。
いつでも一旦停止をすることが出来ます。
珠美は、皆さんの探求に興味津々についていきます。
これが、「探求」というやり方です。
あなたに起こっていること、が、
間違ってないとしたら?
そこに意味があるとしたら?
と、
そこに、信頼をおいて、前提なく
いまここで、好奇心とやさしさを持って
起こっている事実に詳細に気づいていくやり方です。
そして、それを、誰かと共有していくことができます。
こんな気づきの目ならば、多い方が良いです。
One Day ワークショップ
5月26日(日) 10:00~18:00
欲求不満から探求する
あなたの可能性(仮)
定員3名程度 参加費8000円
詳細は、お申し込みの方へお伝えします。
参加資格:さのますみのセッションのクライアントさま・
体験を深める為ベーシックプラクティスを経ることを推奨します(スカイプでも可)
Half Day ワークショップ
5月12日(日)13:00~18:00
ベーシックプラクティス
自分の席に座る〜呼吸に気づく
いま、何に気づきますか?
自分自身とのコンタクトのドアとして
または、自分の戻る場所を知る
*強風にも折れない柳の木のように、
戻る場所を知っていると、いくらでもブレられます。
生きていれば、ブレるのは当たり前と考えます。
瞑想や座禅にご興味がある方にも
参加費4000円
*
スカイプで提供している『ベーシックプラクティス』のご案内は
ここをクリックしてください。PDFが開きます。
*お申し込み、お問い合わせ、ご相談、ご確認、
どうぞ遠慮なくお聴かせください。
このメールに返信可能です。
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トップの写真は、一連のゲシュタルト合宿の期間にホームワークとして課されていて、作成した「自叙伝」第3章の表紙です。(裏紙に下書き、、が、そのままになりました。汗)
第3章は、だいたい5歳〜14,5歳のパートでした。
私は、この頃既に自分を不満足にしていました。自分に待てをかけすぎて、かけすぎたあまりに、なぜ待っているのかも、そもそも自分はどうしたいのかも、今なにを感じているかも、もはや分からなくなっていました。身体はそこにありますが、もぬけの殻の人形のよう。ただ、イライラだけはありました。イライラだけとは繋がっていました。この後、一応大人になっていきますが、私が「ああ、これが人間というものか」と驚きと共に思ったのは2008年のことです。私の欲求不満システムのキャリアはレジェンドレベルです。笑
ただ、このイライラ、そして、怒り というものは、私を救うものでもありました。必要な時、私を立ち上がらせました。
私の「自叙伝」第4章までセッションルームに置いてあります。ご興味が向きましたら是非見てみてください。
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読んでくださって、ありがとうございます。
ゲシュタルトの気づきの場で
お会いできますことを願っています。
感謝を込めて