イナーシャという「神」
私は常々、栄養学をエネルギーの問題として扱って来た。
もちろん、今このように一文で記述したところで、それが伝わっているかどうかは疑問だ。
エネルギーの問題として考えるようになったのは「カロリーありき」の不適合に始まった。
「熱」という、主に「システムの無駄」として認識される「電子のカオス」をベース単位に据えたことで、様々な栄養の理解が停滞したし、それが今も続いている。
我々の「活力」が得体の知れない体感として叙述されているのは、エネルギーの正体を議論しないからだ。
この状況では糖質全体を悪玉視して事足れりとすることも容易に横行するだろう。
極端な云い切りなのでマユツバに感じるかも知れないが、ズバリ、哲学や宗教の素養が無いと、科学自体が受け売りになる危険はある。
そんな中、ちょっと趣向を変えて取り上げてみたいのは、先進的人々の間では、哲学と科学が融合しつつあるということだ。
最近物議を醸しているこの発表。
https://academic.oup.com/aob/article/122/5/747/4722571
食虫植物で、麻酔は、植物にも人間同様に効く、ということが実証された。
他にも様々な実験事例が積み重なって来ており、広義の「意識」は植物にも存在するということは動かし難いと思われる。
今から書くことは紙面の都合上、飛躍の連続に聞こえるかも知れないが、機会があれば探索してみて欲しい。
意識が存在するのに神経や脳といった器官は必要無い。
意識=エネルギー=秩序=形=物質=存在=意識、という一つのループが認識されつつある。
このループは前々から述べているように「慣性(イナーシャ)」と一言で表すことが出来る。
イナーシャとは「現状を変えまいとする力」のことだ。
これが物理一般から電磁気学まで「作用反作用」「エネルギー保存」「誘電」etc といった礎の一つとして全てを貫いている。
生理学でも「恒常性」「免疫」「浸透圧」etc の全てがイナーシャに基づく。
ここで重要なのは浅薄な「トンデモ」や「オカルト」、陰謀論などに走らず、時間をかけて従来的な科学法則や産業との擦り合わせをして行くことだ。
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(じゃあまたね)
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